"How I come to be Xona-Infected?"
(Yet another review of Decimation X / 1st January, 2011 (Sat.))

Language: JAPANESE | ENGLISH

 そのゲームと出会ったのは2010年の初頭のことであった。当時は碌に使っていなかったtwitterのタイムラインに、知らないゲームの動画が言及されていたのが事の発端である。それが、日本でサービスが始まって間もないXbox 360のXbox Liveインディーズゲームに登録されている"Decimation X"というゲームのトレイラームービーであることを初めて知った。その時点で既に配信から1週間が経っており、出遅れてしまったものの、電源を入れてすぐに80MSPを充てた(私は体験版を「見送るかどうかを決める」ために入手するタイプであり、今回のようにぐっと来て良さそうな作品は、躊躇することなく購入する)。購入を決めた理由なのだが、私は特にシューティングゲームが死ぬほど好きだというわけでもなく、弾幕系に至っては食わず嫌いなのもあるが、プレイしたこともない。インベーダーゲームということで「新規に覚える要素が殆ど無く、さくっとできる」ゲームだろうと思ったのがその理由である。今もそうだが、やはり自分の好きなゲームは、さっと始めてさっと止められ、その分反復性の非常に高い、世間の言う「軽薄短小な」ゲームであるから、このゲームをピックすることは何の問題もなかったからだろう。また何よりも、始めに「パッケージアートからは想像も付かないやり過ぎ感」を怖い物見たさで体験してみたかったのがあった。

 当時のインディーズゲームはまだ日陰者であり、評価の高いゲームも少なかった。2009年8月11日、インディーズゲームの配信が日本で始まった時に、私は間髪を入れず"Biology Battle"を購入し、ある程度……大体50〜100時間程度まではプレイした。丁度その頃は"Geometry Wars: Retro Evolved²"がリリース1周年を迎えており、全方向シューティングを非常に好むようになった自分には好意的に受容できた作品だったが、二の矢が放たれることはなかった――残念ながら、当時のインディーズゲームは、屑鉄の山から原石を探り当てる作業を強いられていたし、絶対に「つまらない」ゲームは引きたくないという自分の信念もあり、次の作品に目星を付ける情報の収集すら進まなかった。自分に合うジャンルであることはもとより、スクリーンショットや概要、時には動画を眺めて、何よりこれは良く出来てそうだとピンと来る物がなかった為、XBLIGは自分にとって見送りのコンテンツと化していた。しかし、翌年その状況に一石が投じられた。それがDecimation Xであり、この快作をプレイする度に、開発スタジオのことをもっと知りたいと考えた。

 今更ではあるが、折角なのでこのゲームを開発したゲーム会社Xona Gamesについてよく知る必要があるので、野暮を承知で紹介しよう。
 ゾナ・ゲームス(Xona Games, Inc.)は、カナダはノバスコシア州のヤーマス(Yarmouth, Nova Scotia)に本拠を置くゲームスタジオであり、地元のクリエイター2名によって興された会社である(2010年4月1日に正式に法人格を取得した)。そして、共同設立者の2名が、実際のゲームを設計するリードプログラマーのジェイソン・ドゥーセット氏(Jason Doucette; Twitter: @JasonADoucette)、そしてディレクター兼宣伝広報担当のマシュー・ドゥーセット氏(Matthew Doucette; Twitter: @mdoucette)の双子の兄弟である。彼らのtwitterアカウントをフォローしている方なら、もうご存知のことであろう。2人がゲームを作り始めたのは実に8歳の頃からであり、ゲームスタジオを立ち上げる以前は、様々なウェブアプリの開発・制作物の公開を行っていた。そして彼らは生粋のゲームプログラマーであると同時に、ゲームプレイヤーでもある。そのことがこれまでの製品作りを駆り立てる非常に大きな要因となっている。
(右に紹介した動画は2010年3月時点でのインタビュー。Xona Games提供。左がMatthew氏、右がJason氏)

 その後Decimation Xの情報を調べていくうちに、Xona Gamesが最初に我々日本のゲームシーンで注目を集めたのは、2009年7月のある記事であったことが判明した。一部のシューターに期待されているXNAの作品、"Duality ZF"が紹介され、そのクリエーターこそがXona Gamesであったのだ。Duality ZFは、"dual weapon"(ワイドとフロント2種類の武器)と"dual play"(1人による2機操作=ダブルプレイ)の、2つの"dual"をテーマとして作られたシューティングゲームであるが、ダブルプレイが「前提」という特異性に加え、これまでのXona Gamesの作品と同じローカルでの4人協力が可能である点、更に弾幕生成と描画を滑らかに行うエンジンは、コアなシューターの間でも密かに注目されていた。そのスタジオのお披露目の作品がDecimation Xであったのだから、それに注目が集まるのは、彼らにしてみれば、もしかしたら常識的かもしれなかった。
 Duality ZFはXNAゲームコンテストの祭典であるDream.Build.Playに2年連続出場し、いずれも並み居る力作・意欲作の中で、2009年度第7位、2010年度第5位と、見事にベスト10以内の入賞を果たしている(シューティングゲームに絞っても、2010年には"Prismatic Solid"(第3位、日本の初受賞作品)、"Shoot 1UP""radiangames JoyJoy"らが同コンテストのファイナリストである)。最新情報として、2010年末現在、同作品は2011年内にXBLAでの登場を見込んでいるが、その展望を期待せずにはいられないであろう。それまでは、Duality Engineのお披露目に当たる作品の"Score Rush"をプレイし、果たしてこのゲームがどのように化けるのかを待ちたい。

 さて、いよいよ本題としてDecimation Xについてその歴史を紹介したい――おっと、「歴史」という言い方をするのには理由がある。というのも、これは実に13年も前にプロトタイプが存在していたからだ。それが、Jason氏が退屈凌ぎとして開発したゲーム"Space Invaders '97"である。制作開始日は1996年の8月とある。この時点で既に、本家の「スペースインベーダー」の亜流であるという路線は完全に確立されていたのは言うまでもないが、なんと、この時点で既にDecimation Xは完成されていたのだった。ゲームをより物量同士の激突へ持ち込むアイテムとアイコンシャワーのシステム、4人同時プレイなど、このゲームの個性に当たる主要な要素は全て搭載されている。そして、過剰にバランスが崩壊するアイテムを削除して、アイテムの出現順などのバランスを取って、Decimation Xが生まれた。
 中にはこの作品がリリースされる10年以上も前にプロトタイプが存在したことを驚く人もいるかもしれない。しかしながら実際には全く不思議なことではない。著名な例として、ケイブの開発した「怒首領蜂」が弾幕系シューティングを現在流行する形式として体現した初の作品と言われているが、その前衛に当たる作品については素人が思い付く限りでも挙げればきりがなく、「怒首領蜂」の前作に当たる「首領蜂」、或いはケイブらの前身に当たる東亜プランの遺作"BATSUGUN"も、敵味方を問わない強力な弾の応酬や、自機の小さい当たり判定など、弾幕系の嚆矢になる要素が満載である。「バトルガレッガ」、及び同じスタッフの制作である「サマーカーニバル'92 烈火」は、限界を超えた弾数を発射させる試みが制約の厳しい環境でも追い求められ続けていたことを如実に示している。更に遡行すれば、敵が大量の弾を発射するというコンセプトは「沙羅曼蛇」の高次周5面で登場する打ち返しを伴うベルベルム艦隊などの時点で既に存在が認められていた(沙羅曼蛇と弾幕系シューティングとの関連については、K-HEXさんのサイト「あたっく系」の「シューティング千夜一夜」第145夜での紹介に詳しい)。これらのことを考えても、90年代後半に「弾幕」というコンセプトが萌芽するだけの理由は十分に存在していた。
 そして、Decimation Xもまた、Xbox360のような処理能力を十分に発揮できるハードでその真価を発揮した作品の一つであり、その上プレイヤー全員が共通して所有できるゲームコンソールで動くことが保証されるのだから、全員が同じ条件でこの弾幕地獄を楽しむことが出来る――これはハードウェアの貢献自体と比べれば地味なことであるが、重要である。

 私がDecimation Xを気に入った理由、そして実際に日本において多数の支持が得られた理由は、非常にシンプルで完成されているレトロなシューティングを苛烈にした"intense retro"の概念をしっかりとそつなく纏め上げていることにある。つまり、1980〜90年代のシューティングの利点を取り込み、その上で制約をバランス良く掛けた、巧みな配合具合が、プレイしてみると非常に爽快に映るのである。インベーダーゲームの筋書き通り整然と並んだ敵を大量火力で焼き払い、その上で敵の弾を左右に縫うように避ける。それだけのことにしっかり集中したゲームで、それ以外の初心者を混乱させそうな要素は多く入っていない。
 そして、アイテムによるパワーアップ、パワーアップによる戦略もしっかりと際立っている。これが、作成中に偶然上手く行ったのか、或いはXona Gamesの2人が入念に研究した結果か、それは一般のゲーマーには分かりようもないが、大量の弾のぶつけ合いと称して単純なものと片付けるには乱暴すぎる、そんな深い戦略が宿っている。例えば、高レベルの敵の中には、Level 57の「緑の粒」(左写真)のような非常に当たり判定の小さい敵、或いはLevel 25の「髑髏」などコマ毎の当たり判定が大きく異なる敵も存在し、それらの非常に強力な攻撃を避けつつこちらの攻撃を旨く当てる為には、漫然と弾を撃って敵を迎え撃ちさえすればよいのではない。弾幕をよいところで途切れさせるよう、計画的に敵を殲滅する必要がある。更に、得点を稼ぎ、高いレベルに到達するには、アイテムをしっかりと管理することも戦略上必要なこと。序盤は武器の強化の優先順位をしっかり決める必要があり、特に如何に早くA(連射速度上昇)を6個のフル装備に出来るかが鍵で、いいアイコンシャワーの位置を素速く察知する必要がある。中盤においては、アイテムを捨てても速攻撃破で行くか、それともしっかりとアイテムを稼いで着実に生き残るか、もしくは、命を捨てる覚悟で二兎を追うのか?――このバランス取りに失敗すると、後々が苦しくなる為、簡単には上級者の壁を越えさせてはくれない。
 結局、このゲームの面白さの肝は、スコアメイクの要素が極めてシンプルなことにある。敵を倒す、アイテムを取る、素速く全滅させる。それをする為にこそ弾を避けるか、防ぎきらなければならない、という攻撃と防御の両方の重要性が問われる。その上で、シールドは一時凌ぎのアイテムという、凡そ本家のインベーダーとはかけ離れた意味で使われる。往復するどころか、片道だけではぎ取られるシールドと雖も、1ターン、1レベルを生き残るというだけの理由で重宝されるのだ。しかし、1レベルを耐え抜いて得られる得点は敵を速攻撃破することで二次関数的に上昇する為、シールドはその点では邪魔なアイテムとなりかねない。それを選ぶかどうかも、実力に合わせた戦い方を構築していく面白さがある。

 敵を狙い撃ちし、大量のアイテムを入手し、敵を圧倒的火力で薙ぎ払う爽快感。そして、鬼のような猛攻撃を避け、耐えきった時の安堵。息も吐かせぬ戦いの連続が、短い間の緊張感と高揚感をコントロールしているのだ。実はその点については、Xona Gamesが生み出したXBLIGシューティングにおいても共通しており、全くのブレがない(逆に言えば、全て攻略の肝が同じようなゲームになる、と言えるが)。このことを踏まえて、2010年12月7日にリリースされたインディーズ版の続編である"Decimation X3"についても言及する必要がある(なお、X2はWindows Phone 7用作品。日本で入手できる可能性があればいずれ紹介したい)。
 この続編における重要な変更は、マイナーチェンジとはいえ、前作の不満点をある程度解消したことにある。例えば、LB/RBのいずれかのボタンによる低速移動で、事故による弾幕の激突はまず無くなった。より精密な避け方によって、アイテム取得や敵の撃破順序を決める上での戦略性が益々上がった(一方、上手く装備を調えれば敵が封殺されてしまいがちな為に、4面ごとにボス戦が用意してある)。更に、自機については攻撃力をより強化できるようにした。例えば、アイコンシャワーの回数が増えるごとに、アイテムの間隔が詰まって、大量パワーアップがしやすくなっている。更にはP(ワイドショット強化)、 B(弾数増加)、S(シールド)アイテムは2倍だけではなく、3倍のバージョンが登場したので、武器レベルも非常に高くなり易く、初心者でも簡単に敵が撃破しやすくなっている。
 好みの分かれる変更としては、フィールドが横に押し潰されるような広さになった為、敵との距離をすぐに詰められてしまうのでやり辛くなる。ただ、横に伸びる編隊は、両端に敵を残してゆっくり確実に撃破する戦略が立てられるなど、考え方を変えれば、戦略の幅が広がっている。ただし、No Shieldsモード(防御アイテムのSとI(敵弾吸収ビームを展開)が一切出ないモード)に限って言えば、自機の圧倒的破壊力を以て速攻するのがセオリーの為、その威力が敵に往復すらさせないほどなので、高得点に辿り着くには序盤の敵の舐め取り方はパターン化してしまう。寧ろ、どのタイミングでアイコンシャワーを降らせるのかを調整すること、またはアドリブで取得する方法を確立することが重要になってくる。自機の攻撃力が劇的に上がった為序中盤がいささか大味になってしまった感が否めないが、より後のレベルが厳しくなるという意味では、尺が長くなっただけで、高レベルでの厳しい避けを要求されるシーンは変わりないし、寧ろボスが必ず登場することにより、弾の雨の中を低速移動で切り返すテクニックは常に必須の技術となっていることも変わりがない。そういうわけで、Decimation Xの最大の欠点であった細かい移動が出来ない、というネックが解消されたことで、No Shieldsモードは生まれたという言い方も出来るだろうと思う。

 これまでは長所を述べてきたが、Decimation Xのシリーズは私が好きなゲームであるからこそ、敢えて欠点を述べるとすれば、やはり初代に限れば低速移動がサポートされていない点が大きく、事故死が発生しやすいことが目に付いた。一方のX3ではそれを補う為に低速移動ボタンがサポートされたのだが、実はそのことがマニュアルとしてゲーム中にはその存在が一切言及されていない為(これをtwitterや外部サイトから情報を集めなければならない理由はない)、不親切になってしまっている。これは、Doucette兄弟が実に入念に過去のシューティングゲームを調べ上げていることを証明しているが、それと同時に、知っているが故の「不文律」になってしまったことを紹介していないという落ち度になる。上手いプレイヤーは、下手なプレイヤーについて一生知ることがない。沢山のプレイテスターを募集してその点を指摘して貰うか、自分達で全ての層のプレイヤーを意識して制作する必要がある、という難しさを見せつけられたように思われた。また、アイテムの配運次第では、AやBが足りなくなったり、Sばかりが登場したりして必要な火力が得られず詰みやすいという、序盤のアイテムの引きの問題があることも(小過ではあるが)気にはなった。
 そして、オンラインリーダーボードをサポートできなかったことが、このゲームにとってそこを唯一の減点要素とするレビューがあるほど、非常に大きな痛手であった。確かに現行のインディーズゲームでは、2人以上のプレイヤーによる手渡しリレー形式でしかリーダーボードを共有できない。初期のBiology Battleもそうだし、ごく最近の作品ではradiangamesもランキングの採用に踏み切ったし、"REVOLVER360"も、手渡しリレー方式になっている。それでもなおXona Gamesがこの方式を断念した理由は、Score RushフォーラムでのMatt氏の回答に詳しいが、かなりの処理が裏で走ることによりスコアの欠落が発生し、それではランキングとして使うのは厳しく、実際に完璧なスコア共有を目指すと、ゲーム1本分のプロジェクトになると見積もられた、というのが結論とあるらしい。本来なら、XBLIGでもランキング機能が誰にでも使えるようになるのが一番いいのだが、Microsoftのサポートの鈍重さを考えればその望みは薄いと思われる。それでも、ハイスコアを競うのが唯一のゲームである以上、現在苦肉の策として利用されている手渡し方式ででも「採用さえ」してくれれば、コアなゲームとしての寿命が少しでも延びて、口コミが広がる可能性はなかったのだろうか?、というのが不満にあったのはどう考えても否定できない。Xona Gamesに取っても悔しい結果であるし、この辺は是非とも解決して欲しい問題である。でなければ、XBLIGではレトロゲームの精神の一つが実践できないということになってしまうと思われるからだ。

 さて、いよいよこのコラムも終わりになるが、私個人の感想でどうしても話しておきたいことがある。それは、私がXboxを切っ掛けに好きになったGeometry Warsシリーズ、およびこのDecimation Xをプレイした時に、これらが面白いゲームであり大好きなゲームとなったのと同時に、「非常に大きなショック」を受けたことである。それは何かというと、このゲームは私が尊敬するゲーム業界人の2人である山内 溥氏(任天堂前社長、現相談役)と故・横井 軍平氏(元任天堂社員、コト設立者)の言葉を体現したゲームが、海外のクリエイターによって作られてしまった、という事実であった。
 山内氏のキャリアについては功罪を併せ持っている為、尊崇する者や逆に反感や嫌悪の念を抱く者があるという事情は理解しているものの、それらの事情を差し引いても私が山内氏を高く評価する拠になった言葉がある。それは「『軽薄短小』でも完成度の高い面白いゲームはできる」といった、一連の任天堂の理念ともなっていた教訓である。ここでの「軽薄短小」は、1990年代中盤に「重厚長大なゲームが日本のゲームで支配的になり、任天堂が追い詰められる」といった文脈の反駁として使われる言葉でもあり、一時期にはミニゲームに対する揶揄の文句として使われたりした記憶がある。そこを踏まえてみれば、上記の山内氏の言葉は、シンプルなミニゲームも完成度が高く作れないようでは、大きなゲームは満足いく水準で作れないということを表しているのではないか。Geometry WarsとDecimation Xを見てみると、これらは決してシステムの骨組みが大きくないシンプルで、終わりのないゲームを継続して得点を競う類のものである。だが、こうしたゲームでも調整の仕方によっては大きくバランスが崩れる代物である。得点計算1つ取っても、どこかの得点が過剰になってしまったら、それ以外は無意味なファクターと理解され、多様な攻略法を用意できない。また、敵の強さも同様。難易度が極端に上がってしまう場面は、ある程度の幅ならば仕方がないとはいえ、プレイヤーの続けたい欲求をへし折りがちだ(良いゲームは、たとえミニゲームだろうと馬鹿にせず、難易度曲線についてかなり入念に調整をしてあり、少しずつ上達出来るように仕向けてある)。エンドレスタイプのゲームでは、ずっと破綻(ループで終わらない状態)を来さないという条件を満たすということ自体難しく、しかも常になんとか次のレベルが見える糸口が垂れている、ということは、なかなか意識して導入できないものなのではないか?
 そして、横井氏の言葉。彼は様々な概念を発明したり上手くゲームに導入してきたので、創造性においては数々の「クリエイター」の中でも群を抜いていると言えるが、こんなことを話したことがあるそうだ。「(任天堂の強みは、)ゲームキャラクターを記号に置き換えたとしても面白さが伝わること」。まさに、Geometry Warsシリーズに遭遇した際に頭の中を去来した言葉が、これだった。そう、「このゲームに出てくるキャラクターは、全部記号じゃないか! それなのに、数十万人が熱狂して、このゲームを強く薦めている。日本でもそうだ。……なんてこった」、という感想で打ちひしがれてしまった。何より重要だったのは、これをまさか日本人ではなく、イギリスのゲームスタジオにやられてしまった時のショックは、本当に大きかった。実はこれもXona Gamesが追求しようとしている"intense retro"の考えに近い物を感じる。8-bitとか16-bitとか、制限が多く内容は一見淡泊だが面白い根っこを持ったゲームに、ビジュアルや音楽といったエフェクトは「それなりに」進化させるに止める。(困ったことに、シューティングゲームの音楽やビジュアルは、良いものだと思われている。良い音楽でなければ、無音の方が良い選択であるとさえ言われてしまう。ただし、Imphenziaによる"Theme of Decimation X"は完全にこのゲームにマッチした名曲であることを、彼らの名誉の為に述べておくに留めたい。)その代わりに、ハードウェアの性能を物量といった「性能で再現できる難易度という名の選択肢」に注ぎ込むことで、これでもかという強烈な説得力を持ったゲームが作れる。私が1年近くも休まず、少なくとも500時間は熱狂したGeometry Warsには、このような面白さの理由があったのだ。Decimation XにしてもScore Rushにしても、敵にキャラクター性が無く、ひたすら的として、撃破の目的として捉えているという意味では、ひたすら"intense retro"の道を追い続けている。こうしたスタンスを取るのは、ゲームに求められている内容が多岐に渡る現在、1種類のコアな層に的を絞る賭けとも言えるが、ゲームの面白ささえぴったりとマッチすれば、何百時間と遊べるゲームとしてある人の記憶に残る可能性がある。ある人にとって気がついたら電源を点けてすぐ遊べる、という状態になっているかもしれない。そういうわけで、私はずっとミニゲームが好き、軽薄短小なゲームを全面的に支持している。「ギャプラス」のフォロワーになる"Retrofit: Overload"が登場して一定の受け入れを得たのも、頷ける気がする。

 2010年は殆どゲームを買うことが無かったが、このゲームに出会った時のような気持ちを二度三度と味わうことが出来たら、また集中的にゲームをやる時間を作りたいと思う。私個人には唯一パッケージソフトで購入した「スーパーマリオギャラクシー2」も評判に違わず素晴らしい作品で、めざとい批評の必要性から解放されて40時間も遊び倒したものだったが、やはり今回偶然に出会ったインディーズゲーム、名作の原石が見付かったあの衝撃には及びも付かなかったため、ここで筆を執った次第である。これで、皆さんがより興味をお持ちいただけたとしたら、身を抛ってでも感謝を申し上げたい。

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